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「あすか」の軌跡

「あすか」の製作は1985年頃からワーキンググループで本格的な検討が始められ、1988年度よりAstro-D衛星としてプロトモデルの製作が開始されました。そして1990年度よりフライトモデルの製作に取りかかり、1993年2月の打ち上げに漕ぎ着けました。この間の製作・試験は決して平坦な道のりではありませんでした。この衛星のプロジェクトマネジャーは田中靖郎先生が務められました。田中先生はそれまで「ひのとり」、「てんま」のプロジェクトマネジャーを務められ、また「はくちょう」、「ぎんが」、「ようこう」の製作を補佐されてきましたが、Astro-D(「あすか」)の製作は定年退官前の最後の仕事で、一際思い入れの強いミッションであったようです。

この衛星の製作・試験には多くの困難が伴いましたが、難産の末打ち上げられたAstro-Dは「あすか」と命名され、それこそビッグな健康優良児に育ちました。そのころドイツのローサット衛星が先行して稼動しており、2.4キロ電子ボルト以下の軟X線領域で高い画像分解能で観測を行っていました。「あすか」は4台の多重薄板型X線望遠鏡(XRT)と、焦点面検出器としてX線CCDカメラ(SIS)と位置検出型ガス蛍光比例計数管(GIS)を2台ずつ搭載しておりました。その画期的な特徴は、0.4-10キロ電子ボルトの広いエネルギー範囲で、画像を撮りながら同時に高精度のエネルギースペクトルを取得できることでした。これは宇宙に比較的多い鉄元素の輝線、吸収線のかつてない高いエネルギー分解能の観測を可能とし、高エネルギー天体現象の有力な研究手段を提供することとなりました。このような素晴らしい性能を持った衛星からもたらされた初期の成果には世界中の天文学者、天体物理学者が瞠目し、興奮しました。

この衛星は日米共同で製作されたもので観測・運用のフェーズに入っても、観測の公募・選考から、その採択天体の日米間調整、観測プラン作成、衛星の追跡・運用、テレメトリデータ取得とそのデータの1次処理、標準解析プログラムの作成、観測データの較正、を経てアーカイブデータの作成・配付まで、すべて日米が応分に分担し合って作業を進めました。日米での観測の配分は大変公平かつ円満に行われ、国際協力をすることにより、私達も外国の優れた研究者から多くを学び、また先方も私達を知り、尊重してくれるようになりました。さらに、米国の「あすか」チームメンバーはチームで得た成果を世界中に宣伝して回ってくれたので、「あすか」の名声はたちまちに世界中に知れわたることとなりました。

その後「あすか」は7年余にわたり、延べ2000以上の天体・天空領域の観測を行いました。そして昨年3月2日には大気圏に突入し燃え尽きました。ちょうどその前日にお亡くなりになった、日本のX線天文学創始者である小田稔先生の後を追うように。この間の「あすか」による観測からは75編の国際天文連合速報が発信され、また80名を越す若者がそのデータを用いて博士号を取得し、若手研究者として巣立って行きました。査読付き学術誌に発表された論文の数は現在では約1200編に達しました。

(長瀬文昭)
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